2006年 思い出の一戦

7月に入り、全国各地で高校野球の地区予選が繰り広げられている。

大学入学を機に大阪へ引っ越して以来、僕は春と夏ともに甲子園へ観戦に行っている。僕自身、鹿児島で高校球児として、「甲子園」という目標に向かって毎日練習していた。しかし結果は1回戦コールド負けで、そのギャップに涙を流すしかなかった。クーラーの効いた自室で、とてもモヤモヤしながらその年の甲子園中継を見ていたのを覚えている。僕にとっての甲子園、それはブラウン管越しに眺める遥か遠い存在だった。

僕が野球を始めたのは小学4年生で、地元の軟式野球クラブに入った。それ以来、甲子園を毎年チェックするようになったが、特に思い出深いのは2006年の甲子園。小学6年生の僕は、夏休みの自由研究で『甲子園のデータ分析』をテーマにした。情報収集のために例年以上に甲子園を見て、見れなかった試合は新聞のスポーツ欄の力を借りて提出した。

2006年の甲子園を語るとき、「ハンカチ王子」こと斎藤祐樹と、ヤンキースに所属の田中将大の投手戦がしばしばハイライトとして取り上げられるが、僕にとって最も印象深い試合はベスト4をかけた「帝京VS智弁和歌山」の一戦だ。8回を終えて8-4と智弁和歌山が4点リードで最終回を迎えた。9回表、二死一・二塁の場面から帝京は驚異の粘りを発揮して4連打で1点差。そこから現日ハムの杉谷拳士の2点タイムリーで逆転し、さらにスリーランも飛び出し、8-12とスコアをひっくり返した。僕は中継を見ながら帝京の意地に驚くとともに、智弁の敗退を確信した。しかし、正規の投手を使い果たした帝京に対して智弁が反撃し、4番がスリーランを打って1点差。その後も投手を何人か変えるも智弁の勢いを止められず、最後は押し出しで智弁サヨナラ勝ちを収めた。

こんな結末はプロでは起こらないし、「甲子園だから」という原因以外見当たらない、そんな神秘に満ちた試合だった。

まだ硬式ボールも握っていない自分にとっては雲の上にあるような、遥かなる甲子園-。心を奪われた小6の夏だった。